【清水美波のセカイ】
自己紹介
1998年生まれ、大阪府・神奈川県育ち。
幼少期から外遊びが大好きで、ベッドタウンの住宅や駐車場、用水路、神社、公園のすき間を縫うように走りよじ登っていた。遊べる環境がたくさんあると思い込んでいた農山村地域にあこがれがあり、森林に関する仕事をしようと大学卒業と同時に2021年4月に西粟倉村に移住。株式会社百森で山林活用を担当すると同時に、村内の友人と任意団体ちぐさ研究室を運営する。
周囲の人はもちろんだが、まずは自分が森林や生きものにふれる機会や時間を作りたいと日々ぼんやり思っている。
なぜ森々燦々を開催しようと思ったのか
西粟倉村に来てから、ちぐさ研究室を共同運営する川上とともにさまざまな森の切り口をテーマにしたイベントの開催、動物や昆虫の標本作成、調査などを進めてきたが、今のご時世、どうしても「循環」「SDGs」「生物多様性」というフィルターを通して森林や生きものがみられているように感じている。間違いではないし、私自身危機感は感じているが、自然にふれる機会がないと言われて久しい中で、そのような概念だけがはるかに先行していることに自分が置いていかれているような感覚がある。
役に立つとか立たないとかではなく、ただ面白いから、興味がわくから、そのような動機で森や川や海、生きものにふれることがないと、もっと社会的な理想と生きものを取り巻く現状が離れていってしまう気がする。これはとても怖いと感じていることだ。
気持ち悪さをむしゃむしゃ味わう
「自然は一般にいいもので、美しく、神秘的で、環境を維持するために必要な機能を担っている」と捉えれることも多いが、ほんとうにそうなのだろうか。「ほんとうにそう」とは、あなたが目で見てちゃんとそう思っているのですか?ということで、私は見つけたものに「気持ち悪い」とか「不気味」とか「ぞくぞく」と思うことがあるほうが安心する。ネガティブな感情を抱けというのではない。イメージでいわゆる自然というものを神格化、憧れにしていないか、ということをその手と目でちゃんと確かめてほしい。
あなたの「好きじゃない」はなんですか
普段森に関わっている人は森を好きで関わっていることが多いように思うが、その分好きじゃない、興味がないと感じている人の視点に立つことが難しい。私もその一人であると思う。でも、今いる生きものが数年後にもここにいるとは限らないのが厳しい現状である以上、好きな人同士の閉じた世界で森や生きものに関わっていても、現状を変えるのは難しいとも感じている。
森々燦々は森を舞台に開催するが、自然が特に好きでもない人が来ていい。虫を気持ち悪いと感じる人が来ていい。表現とか面白くないと思っている人が来てもいい(人に強制してほしくはないけれど)。
今抱いている感情が、外で発信されていた感情を自分もそう感じていたかのように受け取っているものなのか、自分が根っから好きじゃないと晴れ晴れ感じるのか、つぶさに観察して確かめてもらえる場になったらいいなと思う。